服部桂

いままで現場の手づくりの経験だけに頼っていた分野で、設計やデザインという思想が情報というかたちで抽出され、培養され、進化し、またモノに落とし込まれる。 それは生物学や医学が、DNAという生命の基本素子のもつ情報構造の表現と理解されるようになって、「外側」からではなく「内側」から情報操作によって扱えるようになったのと同じ流れだ。 こうした流れは、文明にひたすら破壊的な変化を起こすものなのか、破壊から持続的なものに変化しうるものなのか。市場の勝者は敗者を生み出し、新しい方法は旧来の方法に固執する人々を片隅に追いやる。 われわれが熱狂する現在のイノヴェイションは、人間の太古からの深い欲望を新しいツールによって再度解放しているだけの作業なのかもしれない。 現在の局面にだけ目をやって損得勘定で論じるより、もっと大きなパースペクティヴの元に、「イノヴェイション自体のイノヴェイション」を考えるべき時期に来ているのではないだろうか?